父と最後にまともに会話をしたのは、いつだったろう。大学卒業後、就職を機に実家を出てから、私と父の関係は冷え切ったままだった。年に数回、義務的に実家を訪れても、挨拶程度の言葉を交わすだけ。そんな関係が10年以上続いていた。その私が、100均の蝶番をきっかけに、父と過ごす時間を取り戻すことになるとは思ってもみなかった。たった110円の小さな金具が、壊れかけた親子関係を修理してくれた。これは、蝶番を通じて父と再びつながった、私の物語である。
壊れた食器棚
2022年の春、実家から母の電話がかかってきた。「お父さんが怪我をして入院したの」という知らせだった。
父は72歳。庭の手入れをしている時に脚立から落ち、右足を骨折したという。命に別状はないが、全治3ヶ月。その間は松葉杖での生活になるとのことだった。
私は翌週末、見舞いに実家へ向かった。東京から新幹線で2時間の地方都市。10年以上、この距離が私と父を隔ててきた。
実家に着くと、母が疲れた顔で出迎えてくれた。「お父さん、病院から明日退院するの。でも家の中、色々壊れているところがあって…」
母に案内されて家の中を見て回ると、確かにあちこちが傷んでいた。10年前に出た時には気づかなかった、いや、見ようとしなかった家の老朽化。
特に目立ったのが、キッチンの食器棚だった。観音開きの扉の片方が斜めに傾き、完全には閉まらなくなっている。蝶番が壊れているのだ。
「これ、いつからこうなってるの?」
「半年くらい前かしら。お父さん、直そうとしたんだけど、うまくいかなくて。業者を呼ぼうって言ったら、『自分でできる』って譲らなくて」
食器棚の扉を見ると、蝶番のネジ穴が広がっていた。何度も付け外しを繰り返した跡がある。父が一人で、不器用に修理を試みた痕跡だ。
「俺が直すよ」
そう言ってから、自分でも驚いた。DIYの経験なんてほとんどない。それでも、なぜか「自分がやらなければ」という思いが湧いてきたのだ。

100均での蝶番探し
翌日、父が退院する前に、私は近くのホームセンターに向かった。蝶番を買うためだ。
しかし、ホームセンターの蝶番売り場で私は戸惑った。種類が多すぎる。サイズ、形、材質、価格。どれを選んでいいのか全く分からない。
店員に聞こうとしたが、日曜日で混雑しており、誰も捕まらない。スマートフォンで検索しても、専門用語ばかりで理解できない。
30分ほど悩んだ末、私はホームセンターを出た。「とりあえず現物を見ないと分からない」と、実家に戻って壊れた蝶番を外すことにした。
実家に戻り、ドライバーで蝶番を外す作業を始めた。ネジが錆びていて、なかなか外れない。悪戦苦闘すること20分、ようやく古い蝶番を取り外すことができた。
その蝶番を持って、今度は近くの100均(ダイソー)に向かった。「もしかしたら置いてあるかも」という淡い期待だった。
店内を探し回ると、DIY用品コーナーに蝶番が並んでいた。種類は多くないが、サイズ違いで3種類ほどある。私は取り外した蝶番と比べ、ほぼ同じサイズのものを見つけた。
2個入りで110円。
「これで本当に大丈夫かな」と一瞬不安になったが、まずは試してみることにした。予備も考えて3パック購入し、合計330円だった。

初めての修理
実家に戻ると、ちょうど父が病院から帰ってきたところだった。松葉杖をついた父は、以前より小さく見えた。
「お帰り」
「…ああ」
相変わらず素っ気ない返事。母が父を居間に案内し、私はキッチンで蝶番の取り付け作業を始めた。
100均の蝶番のパッケージを開ける。薄い金属製の蝶番が2つ、小さなネジが8本入っている。「本当にこれで大丈夫か」という不安が再び頭をよぎる。
まず、扉側に蝶番を当ててみる。穴の位置は合っている。しかし、古いネジ穴が広がっているため、新しいネジを入れても空回りしてしまう。
「どうしたものか…」
悩んでいると、後ろから声がした。
「つまようじを使え」
振り返ると、松葉杖をついた父が立っていた。
「え?」
「広がったネジ穴に、つまようじを何本か差し込んで、木工用ボンドで固める。乾いたら、その上からネジを締める。穴が締まって、しっかり固定できる」
父の声は小さかったが、確かなアドバイスだった。
「そうなんだ…ありがとう」
私は母に頼んでつまようじと木工用ボンドを持ってきてもらい、父の言う通りにした。広がったネジ穴に、つまようじを4本ほど差し込み、ボンドを流し込む。
「それで30分くらい乾かせ。その間に、本体側の蝶番を付けておけ」
父は居間のソファに座ったまま、指示を出してくれた。私はその通りに作業を進めた。
30分後、ボンドが乾いたところで、扉側の蝶番をネジで固定した。つまようじで締まったネジ穴に、ネジがしっかりと食い込む。
「いけるかも…」
扉を本体に取り付け、蝶番のピンを差し込む。扉をゆっくり開閉してみる。
スムーズに動いた。
「直った!」
思わず声を上げた。自分の手で何かを修理できた達成感。それは予想以上に大きなものだった。
父は居間から「そうか」とだけ言ったが、その声にはどこか安堵したような響きがあった。

100均蝶番の品質
食器棚の修理が成功してから、私は100均の蝶番に興味を持つようになった。
「110円の蝶番って、本当に大丈夫なんだろうか」
ネットで調べてみると、100均の蝶番についての評価は賛否両論だった。
肯定的な意見:
- 「軽い扉なら十分使える」
- 「応急処置として優秀」
- 「コスパが良い」
- 「頻繁に買い替えても経済的負担が少ない」
否定的な意見:
- 「耐久性に不安」
- 「重い扉には向かない」
- 「精度が低い」
- 「すぐに錆びる」
実際に使ってみて、私は「用途次第」という結論に至った。食器棚のような、それほど重くない扉で、頻繁に開け閉めしないものであれば、100均の蝶番でも十分に機能する。
逆に、玄関のドアのような重く、頻繁に使われるものには向かないだろう。
重要なのは、適材適所で使うこと。すべてを100均で済ませようとするのではなく、用途に応じて判断すること。
この考え方は、後に他の修理にも活きることになる。

父との会話が始まった
食器棚の修理成功をきっかけに、不思議なことが起きた。父が、私に話しかけてくるようになったのだ。
「洗面所の鏡の扉も、蝶番がおかしい」
「廊下の収納も、扉が下がってきている」
「物置の扉が閉まりにくい」
父は松葉杖をつきながら、家の中の不具合を次々と指摘してきた。「直せるか?」とは言わない。ただ、不具合があることを伝えてくるだけだ。
それは父なりの、コミュニケーションの取り方だった。
私は毎週末、実家に通うようになった。表向きは「父の看病の手伝い」だったが、実際には家の修理をするためだった。
100均で蝶番を買い、一つずつ直していく。洗面所の鏡、廊下の収納、物置の扉。どれも蝶番を交換することで、元通りに機能するようになった。
作業中、父はいつも近くにいた。松葉杖をついて立っているか、椅子に座っているか。そして、的確なアドバイスをくれた。
「そのネジは少し小さい。もう一回り大きいのを使え」 「蝶番は上下で微妙に位置をずらせ。そうすると扉の重みが分散する」 「ドライバーは垂直に当てろ。斜めに力を入れるとネジ穴が潰れる」
父は職人ではなかったが、元々機械いじりが好きな人だった。若い頃は工場で働いていて、機械のメンテナンスを担当していたと母から聞いた。その知識と経験が、今、私に受け継がれようとしていた。
作業の合間に、父はぽつりぽつりと話し始めた。
「この家も古くなった。もう40年以上経つからな」
「あちこち壊れてくるのは仕方ない」
「でも、直せるものは直したい。まだ使えるものを捨てるのは、もったいない」
父の言葉は短く、感情を表に出さない。それでも、確かに父の思いが伝わってきた。この家を大切にしたい。自分の手で守りたい。でも、体が思うように動かない。そのもどかしさ。
「俺が来れる時は、直すから」
私がそう言うと、父は少し驚いた顔をした。それから、小さく頷いた。
「…そうか」
その短い返事に、父の安堵が滲んでいた。
蝶番から広がる修理の世界
蝶番の修理を続けていくうちに、私は他の家の不具合にも気づくようになった。そして、100均にはDIY用品が驚くほど充実していることを発見した。
ネジの種類、補修パテ、接着剤、補強金具、滑り止めテープ。110円から220円で、様々な修理用品が手に入る。
ある日、キッチンの引き出しの取っ手が外れかけているのに気づいた。100均で適当なサイズの取っ手を探したが、デザインが合うものがない。
悩んでいると、父が言った。
「取っ手を全部交換しろ。一つだけ違うデザインにするより、統一感が出る」
なるほど、と思った。100均で同じデザインの取っ手を10個購入し、キッチンの引き出しと扉の取っ手を全て交換した。合計1,100円で、キッチン全体の雰囲気が変わった。
「新しくなったみたいだ」と母は喜んだ。
次は、玄関のドアクローザーの調整。父の指導のもと、ネジを締めて調整した。ドアがゆっくり、静かに閉まるようになった。
トイレのペーパーホルダーが緩んでいたので、補強金具で固定した。
窓のサッシの滑りが悪かったので、シリコンスプレーを吹きかけた(これも100均で購入)。
一つ一つは小さな修理だった。でも、それらが積み重なって、家全体が少しずつ蘇っていくのを感じた。
そして何より、修理を通じて、父と過ごす時間が増えた。会話が増えた。
「ここのネジ、錆びてるな。潤滑油を吹いてから回せ」
「この木材、少し腐りかけてる。防腐剤を塗っておけ」
父の知識は深く、実践的だった。学校では教わらない、生活の知恵。それが、修理を通じて私に伝えられていった。
父の過去を知る
ある土曜日、物置の整理をしていた時、古い工具箱を見つけた。
「これ、開けてもいい?」
父は少し躊躇してから、「ああ」と言った。
工具箱の中には、様々な工具が綺麗に整理されていた。ドライバーセット、スパナ、ペンチ、ノコギリ。どれも古いが、丁寧に手入れされている。
そして、箱の底に、古いノートがあった。
「修理記録」と表紙に書かれたそのノートには、父が今まで行ってきた家の修理の記録が、びっしりと書かれていた。
1985年5月3日:玄関ドアの蝶番交換 1987年9月12日:屋根の雨樋修理 1990年3月20日:キッチンの水栓パッキン交換 1995年7月8日:二階の窓枠補修
30年以上にわたる、修理の記録。日付、場所、作業内容、使用した材料、かかった費用。全てが几帳面に記録されていた。
「お父さん、これ…」
「昔はな、何でも自分で直した。業者を呼ぶ金がなかったからな」
父が珍しく、長く話し始めた。
私が子供の頃、家は決して裕福ではなかった。父は工場で働き、母はパートで家計を支えていた。私と弟を育て、家のローンを返すので精一杯だった。
だから、壊れたものは自分で直した。工場での知識と経験を活かして、家のあらゆる修理を自分でこなした。
「お前が大学に行く金を貯めるために、できるだけ出費を抑えた。修理も自分でやれば、材料費だけで済む」
父のその言葉を聞いて、胸が詰まった。
私は大学に行き、東京で就職し、自分の人生を歩んできた。その背後に、父のこんな努力があったことを、今まで知らなかった。いや、知ろうとしなかった。
「お父さん…ありがとう」
「礼を言われることじゃない。親として当然のことをしただけだ」
父はそっけなく言ったが、その目は少し潤んでいた。
なぜ私たちは疎遠になったのか
父との関係が冷え切った理由を、改めて考えた。
大学卒業後、私は東京の広告代理店に就職した。華やかな業界で、給料も良かった。対照的に、父は地方の小さな工場で定年まで働き続けた。
私は、どこかで父を見下していたのかもしれない。「古い価値観の人」「時代に取り残された人」。そんな風に思っていた。
父も、私の生き方を理解できなかったのだろう。「東京で何をしているのか分からない」「地に足がついていない」。そう感じていたに違いない。
お互いに、相手を理解しようとしなかった。話そうとしなかった。
でも、蝶番の修理を通じて、私は父の生き方の価値を知った。
壊れたものを直す。大切に使い続ける。自分の手で家族を守る。
それは、私が東京で学んだ「古いものは捨てて新しいものを買う」という価値観とは真逆だった。でも、どちらが正しいということではない。どちらも、それぞれの状況と価値観に基づいた生き方だ。
そして今、父の生き方から学べることがたくさんあると気づいた。
100均蝶番の限界と可能性
半年ほど、100均の蝶番を使って様々な修理をしてきた中で、その限界と可能性が見えてきた。
限界:
玄関の重い木製ドアの蝶番が壊れた時、100均の蝶番では強度が足りなかった。結局、ホームセンターで2,000円ほどする頑丈な蝶番を購入することになった。
また、頻繁に開閉する扉では、100均の蝶番は半年ほどで軋み始めた。材質の問題で、耐久性には限界がある。
可能性:
一方で、使用頻度の低い扉や、重量の軽い扉では、100均の蝶番でも十分に機能した。
特に良かったのは、「試してみる」ことへの心理的ハードルが低いこと。110円なら、失敗しても大きな損失にならない。だから、気軽に挑戦できる。
実際、私は何度も失敗した。ネジ穴を間違えて開けてしまったり、サイズを間違えたり。でも、100均の蝶番だからこそ、「まあ、次頑張ろう」と思えた。
もし最初から2,000円の蝶番を買っていたら、失敗を恐れて挑戦しなかったかもしれない。
100均の蝶番は、「DIY初心者の入門ツール」として最適だった。
父の回復と新しい趣味
父の足の骨折は、3ヶ月で順調に回復した。松葉杖から杖に変わり、やがて杖も必要なくなった。
完全に歩けるようになった父は、また庭仕事を始めた。ただし、今度は脚立には登らず、安全第一で作業するようになった。
そして、新しい趣味を始めた。木工だ。
「お前が来て、色々直してくれるのを見て、また物作りがしたくなった」
父は近所の公民館で開かれている木工教室に通い始めた。そこで小さな棚や椅子を作り、家に持ち帰ってくる。
当然、蝶番が必要になる場面も多い。父は自分で100均に行き、蝶番を買ってくるようになった。
「100均の蝶番、案外使えるな」
父がそう言った時、私は嬉しかった。私が見つけた方法を、父が認めてくれた。それは、父が私の価値観を受け入れてくれた証のように感じた。
