贈り物手帖
悟りを得て尊敬を受ける、仏様の弟子十六人を十六羅漢といいます。五百羅漢は、仏様の滅後に行われた経典を編纂する会議に集まった仏様の500人の弟子を指すといわれています。五百羅漢それぞれが、それぞれの能力を持って役割を担っているのが特徴です。
世界的に有名な江戸時代中期の画家「伊藤若冲」。若冲は六十歳を過ぎて仏教と創作の原資を求めて、現在の京都市伏見区深草石峰寺(京阪本線深草駅から徒歩約10分)にある「石峰寺」に五百羅漢像の制作を始めます。
1788年頃の完成と言われていますが、その後火事で家を失った若冲が1791年から石峰寺に隠遁し、1800年9月10日に85歳で没し石峰寺に土葬され、自ら制作した五百羅漢と共に石峰寺に眠っています。
笑っている顔、泣いている顔、怒っている顔、おだやかな顔、長い歴史の中に雨風で風化してしまってはいますが、その表情はとても豊かです。五百羅漢を守るかの様に茂る竹林が陽の光を動かし、石仏ひとりひとりの表情を彩ります。
竹林のひろがる斜面に小さな石仏から大きな石仏まで、それも若冲の絵画の世界からは想像もつかないような可愛らしいとさえ言える表情で鎮座しています。ところどころに動物や説教中の石仏もいます。ネズミーランドさながらの豊かなテーマを想像しながら歩いていると、あっという間に時間が経ってしまいます。 「奇想」「奇跡」の画家とさえ呼ばれる若冲がなぜ石仏の五百羅漢なのでしょうか。石峰寺の阪田住職は「無常の世界を表現するため、あえて風化する石仏を選んだのではないか」と話します。
写真は、毛利達男作「五百羅漢と武将之図」。
スタッフや関係者が500人を数えたところ、それぞれ人数が違っていました。何度数えてもミステリーさながらに数が違います。増えたり減ったりしているのでしょうか。皆さんも数えてみてください。いったい何人いるのでしょうか。