贈り物手帖

子として、父としてのスティーブ・ジョブズ

りんごは古来より美しさや知恵の象徴として、古代ギリシア詩作品など様々な神話に登場しますが、特に有名なりんごが「世界を変えた三つのりんご」です。

一つ目は、人類またはユダヤ人の祖(父)などとされる「アダムとイブ(エヴァ、Adam 、Eva)のりんご」、二つ目は、近代科学の父、万有引力の法則を発見した「アイザック・ニュートンのりんご」、そして三つ目は、パーソナル・コンピュータの父「スティーブ・ジョブズのりんご」です。私たちは、この三人の父たちのりんごによって変えられた世界の中で暮らしています。

今回は、三つ目のりんごの「スティーブ・ジョブズ」。子として、そして父としての彼のお話です。

スティーブ・ジョブズは、同じアメリカ国内に住んでいる本当の父に生涯会うことなく、2011年10月5日(木)に亡くなりました。

ジョブズの実の父アブドゥルファター・ジャンダリは、1931年にシリアのホムスで生まれ、ベイルートの大学を卒業後にアメリカへ移民し、大学院で政治学を専攻し、アメリカ人の大学院生ジョアン・シーブルと出会い、二人の間にジョブズが誕生します。実の母ジョアンの父は、アブドゥルファターがシリア人のイスラム教徒であったこと、女性問題も抱えていたことから、二人の結婚を認めませんでした。そのため、二人はジョブズを裕福な家庭で大学に進学させたいという思いから、養子に出すことを決心します。そしてジョブズはポールとクララ・ジョブズ夫妻に引き取られます。

アブドゥルファターとジョアンはその後結婚を認められ、長女モナが誕生します。1986年、養母であるクララ・ジョブズが亡くなり、ジョブズはその時初めて血のつながった妹がいることを知ります。それが、長女モナ・シンプソンです。間もなくジョブズはモナに会い、交流を深めていきます。モナとジョブズが出会うまでに30年の時がかかりました。

モナとジョブズが再会した時には、アブドゥルファターとジョアンは離婚をしていたため、アブドゥルファターの行方をモナでさえ知りませんでした。モナは調査会社を頼り、父親の居所を突き止め、アブドゥルファターが働いているサクラメントのレストランで対面します。ジョブズは、アブドゥルファターへ自分のことを話さないように、モナへ釘をさしていました。しかし、父親からの言葉にモナは驚きます。

「サンノゼの店はスティーブ・ジョブズも来ていたんだよ。」

かつて大学で教授をしていたアブドゥルファターが、大学を辞め経営していたレストランで、ジョブズとの面識があったのです。それは、ただの客とウェイターとしてでした。

ジョブズもこの事実に驚きます。それでも、父親が自分のお金目当てになるのではと疑い、死ぬまで会うことはありませんでした。一方、父親であるアブドゥルファターもまた「息子の資産を目当てにして名乗り出た」と叩かれるのを恐れ、身内以外にジョブズの存在を話すことはなく、息子と会おうとはしませんでした。

ジョブズは二人の女性との間に子どもがいる父親です。

ジョブズが23歳の時に、ガールフレンドとの間に娘リサが生まれました。しかし、結婚をしないどころか、リサのことをなかなか認知をせず裁判にまで発展し、後に認知・援助を認めました。それでもAppleコンピュータにLisaと名付けたほど愛していました。

1991年3月、36歳で再婚したと言われていますが、法律的にジョブズは初婚でした6ヶ月後に長男のリード・ポール・ジョブズが誕生。その後2人の娘を授かりますが、娘達とは比較的疎遠であったとも言われます。ジョブズは、ジョブズジュニアと呼ばれ続けてきたリードを、特別に溺愛していたようです。その期待に応えるように、リードはトップクラスの高校を卒業し、世界大学ランキングでも常に上位に入るスタンフォード大学に進学します。しかしながら表立ったイベントやクイズ番組では、ジョブズを名乗らず、母親の性を名乗ることで、ジョブズの名前による様々な憶測を避ける控えめな部分がありました。

リードは、父の後を追わず、医学の道を選びます。彼をその道に導いたのは、癌と戦う父親でした。スティーブ・ジョブズは、自らの歩んできた道よりも、愛する息子の理想と信念に心打たれます。

名言・格言が多いスティーブ・ジョブズですが、父の日に、子として、そして父としてのスティーブ・ジョブズを紹介しました。父、スティーブ・ジョブズに贈る名前の詩です。

スティーブ・ジョブズの名前の詩