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贈り物手帖

第2回:臼杵の南蛮文化「第2章 三浦按針とガリバー旅行記」

名前の詩の工房がある大分県臼杵市うすきし佐志生さしう豊後水道ぶんごすいどうを望む佐賀関半島の南、臼杵湾に面しています。大分県内でも人気スポットになっている美しい佐志生海岸の目と鼻の先(300m)には黒島が浮かんでいますが、オランダ船が漂着したことで知られています。

関ヶ原の戦いの5ヶ月前となる1600年4月19日、オランダ船「リーフデ号」が臼杵湾に漂着しました。その後、将軍徳川家康に重用され日本橋に按針通りが出来るまでになった日本名「三浦按針(みうらあんじん)」ことイギリス人の「ウイリアム・アダムス」が航海長。そして家康に貿易・外交を任された、八重洲(東京駅八重洲口)の地名の元となる耶楊子(やようす)ことヤン・ヨーステンが水先案内人を務めていました。

三浦按針は日本で初めて西洋式の帆船を建造し、幕府の西洋文化指南役でもありました。家康といえば「忍」を重用していただけあって、三浦按針を情報役として活用していたともいわれています。

1616年の徳川家康の死、そして2代将軍秀忠の鎖国政策により、活躍の場はなくなり、日本で20年を過ごした三浦按針はイギリスに帰ることなく55歳の人生を閉じました。

三浦按針は徳川幕府の指南役でしたが、同時に徳川幕府や日本の情報をイギリスの妻や友人宛の手紙を通じて送っていました。

その100年後、作家ジョナサン・スウィフトは三浦按針の手紙に書かれた情報を元に、ガリバー旅行記第三編の「空飛ぶ島の国(ラピュタ)」においてイギリス人ガリバーが1709年日本にオランダ船で到着し、将軍に謁見するというエピソードを書き上げています。